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天花の部屋
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最近早朝4時頃ごみを焼く家が多くなった。なぜなら我が市では、ゴミ袋が有料になったからだ。その為老人は、倹約のために庭先で焼くのである。暗いので分からないし、みんな寝ているし、くさくて起きたときには煙はよそを漂っているので発生源は特定されない。少量のごみなら3分もかからない。昔懐かしい公害復活です。
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朝7時半から近所の葬式の準備に出かける。久々の自宅葬式だ。最近では葬儀屋が経営するホールでやるのが多くなったが、自宅で行うと昔の野辺の送り様式となるため支度が大変である。坊主は足取り軽くやってくる。1時間半で14万グッドジョブである。お寺も系列の寺と組んで仕事をするので3人いる。この業界も営業に頭を使っている、金儲け上手すぎます。

今朝出勤しようとしていたら、携帯が鳴る久しぶりの友人からなので、( ´ロ`)なにかあったか、と思い急いで出る。なんと知り合いの早すぎる死の連絡であった。7年前まで職場で隣の席の人だった。その後転勤で離ればなれになり会ってはいない。しかし確か娘さんがいたな。まだ20歳すぎたぐらいだろうかさぞ無念であっだたろう。急なことなので今日の葬式には行けない。壮烈な死であった渥美清と同じ病気であった。キリスト教徒だったので天に召されたと言うことか。キリスト教徒と言うことも今朝知った。そのことを知らなかったのが不思議に思えた。そう言えばへんに言葉遣いが丁寧でした。 (;´Д`)昨晩せかちゅーの7話から最終話までみて感傷のさめないまに現実をしらされ人の死について考えさせられた。「人が死ぬと言うことは思い出をシミのように残して消えていくことだ」と映画せかちゅーの中で重爺がいっていたが、まさしくその通りである。最近のように映像や音声がたくさん残せるようになり、芸能人と同じになる、つまり今CMに出ている本田美奈子のように、いまでも生きているような。よく考えてみるとテレビで見る芸能人は今でも生きているのか死んでいるのか、はっきりしないことがあるが、そう言う感覚になる。モニターの映像からでは時間は感じないのである。(*∠_*) ダカラドーシタ  死に目を見ない限り、現実感がないと言うことか。

日曜日だというのに、隣のおじさんの意見でごみステーションの路肩をコンクリートで補強工事をしました。

朝7時前から始まり昼までかかった。コンクリートと砂で8500円は地区会費から出してもらった。こんなのは役場がやる仕事であると思うが、日にちがかかるのでボランティアで行った。来週の日曜日この上にごみステーションを設置する。