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今朝出勤しようとしていたら、携帯が鳴る久しぶりの友人からなので、( ´ロ`)なにかあったか、と思い急いで出る。なんと知り合いの早すぎる死の連絡であった。7年前まで職場で隣の席の人だった。その後転勤で離ればなれになり会ってはいない。しかし確か娘さんがいたな。まだ20歳すぎたぐらいだろうかさぞ無念であっだたろう。急なことなので今日の葬式には行けない。壮烈な死であった渥美清と同じ病気であった。キリスト教徒だったので天に召されたと言うことか。キリスト教徒と言うことも今朝知った。そのことを知らなかったのが不思議に思えた。そう言えばへんに言葉遣いが丁寧でした。 (;´Д`)昨晩せかちゅーの7話から最終話までみて感傷のさめないまに現実をしらされ人の死について考えさせられた。「人が死ぬと言うことは思い出をシミのように残して消えていくことだ」と映画せかちゅーの中で重爺がいっていたが、まさしくその通りである。最近のように映像や音声がたくさん残せるようになり、芸能人と同じになる、つまり今CMに出ている本田美奈子のように、いまでも生きているような。よく考えてみるとテレビで見る芸能人は今でも生きているのか死んでいるのか、はっきりしないことがあるが、そう言う感覚になる。モニターの映像からでは時間は感じないのである。(*∠_*) ダカラドーシタ 死に目を見ない限り、現実感がないと言うことか。
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