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先日教育テレビで神風特攻隊の多くが生き残っていたという番組を見て,びっくりしました。福岡市の振武寮で隔離され,戦後そのことを語るのを禁じられていたというのも,興味深い。その多くが飛行機がおんぼろであったため途中の南西諸島に不時着(軍は収容するシステムを持っていたようだ)または途中待ち伏せている米軍機に落とされていたという。まあ三菱のエンジンなら鹿屋から沖縄まではもたんでしょうな。今でもあぶないエンジンですから。わたしは昔ミニカを買って故障の多さに負けましたから。しかし死んでいった英霊に対して生き残った者はみんな口を閉ざしている。私の亡父は当時鹿屋で特攻の残りだったが,このことは知らなかったわけだ。先に行った者の7割は,実は皆生きていたということを。当時は特攻は行ったら死ぬのが目的であったため,生き残りはいないという原則だったから密かに隔離されいじめられたという事実の方がむごい。いじめた将校は最近まで生きていたが,インタビューで最近までいつもピストルを所持していたと語っているのも悲惨だ。みなさん詳しくはネットの振武寮で調べましょう。
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